TSUZAKIレポート

ジム・マッキュワン氏来日セミナー

ジム・マッキュワン セミナー

2007年11月28日、ブルイックラディ蒸留所のジム・マッキュワン氏は故郷スコットランドへ帰国しました。11月18日に来日してから約10日、福岡、大阪そして東京の地で8回ものセミナーを行い、アイラに対する愛情、そして何よりもウイスキーに対する情熱をほぼ毎日語り続けました。身体的な疲労もピークに達していたと思われますが、その胸には哀愁とともに確かな充実感も去来していたのではないでしょうか?
今回の来日は、蒸留所の定番商品であった「10年」の終売に伴って発売された新商品『クラシック』のお披露目を主な目的としていました。

ジム・マッキュワン セミナー

しかし、どのような商品をリリースしようとも、そこに一貫しているのは「美味しいウイスキーを届けたい」「ウイスキーファンを裏切らない」というジム・マッキュワン氏の哲学、そして、一ウイスキー生産者としてのプライドでありました。

そのことは、ご来場いただいたお客様に一番伝わったのではないかと思います。ご多忙な中、たくさんのお客様にご来場いただきましたことを、この場をお借りして深く御礼申し上げます。そして、今回ご来場いただけなかったお客様に少しでもセミナーの様子をお伝えしたいと思います。

ジム・マッキュワン氏の一人称でご報告いたしますので、氏の情熱を少しでも感じていただければ幸いです。


ジム・マッキュワン セミナー


【第一部 略歴】


ブルイックラディ蒸留所の歴史は、あまり恵まれたものではありません。創業したのは1881年のことですが、その長い年月の間に五度もオーナーが変わっており、1994年ジムビーム社を最後として閉鎖されたときには、アイラ島中が悲しみに包まれました。なぜなら、ジムビーム社は蒸留所を買収した際に、ブルイックラディ蒸留所の復興を目指し、ずっとアイラに留まって定期的に生産していく、という宣言をしていたからです。しかし、残念ながらその一年後に閉鎖が発表され、ブルイックラディは二度と再開できないであろう、というのが大半の意見でした。

私はイーラッハ(生粋のアイラ島民という意味)として、この状況に心痛耐えがたいものを感じておりました。そこで複数の友人に声をかけ、私を含めた5名で蒸留所を購入することに決めました。2000年のことです。アイラ島の蒸留所はアイラ島民の為にあるべきだ、というのが私の考えであり、私自身がその運営に関わることでアイラ島に何か貢献できるのではないか、とも考えました。このようにして、ブルイックラディは息を吹き返したのです。
ちなみに、このときの購入価格は700万ポンド。当時の日本円にして約14億円の値がついておりました。私が貧乏なのもお分かりいただけると思います。

私は15歳のときから45年間にわたってウイスキーの生産に関わってきました。その私の経験がアイラ島の役に立つことを考えると、こんなに嬉しいことはありません。学校を卒業してからの進路として蒸留所しか考えていなかった私は、卒業式の数日後にはクーパー(樽職人)の見習いとしてボウモア蒸留所におりました。
当時スコットランドで一番腕のいい職人として知られていたデビッド・ベルに師事し、樽加工の技術だけでなく、ウイスキーにまつわる様々な事を直々に教えられました。彼は99歳と9ヶ月でこの世を去りましたが、彼の存在は今でも毎日忠言を求めてやみません。


ジム・マッキュワン セミナー


私の祖父はモルトマンとして、また私の曽祖父はマッシュマンとして、代々ウイスキー業界に携わってきました。もちろん私の父もそうですし、実は娘を入れますとマッキュワン家は5代続いて蒸留所で働いております。こうして振り返ってみますと、ウイスキーを造っているのは代々継がれていく経験や流れであることを実感します。そう、ウイスキー作りに求められるのは「人間」そのものなのです。ブルイックラディ蒸留所では、未だにコンピューターを一切使用せず、人間の感覚を使って稼動している、数少ない蒸留所の一つとも言われています。蒸留所にあるコンピューターを強いてあげるとするならば、蒸留所所長のダンカン彼自身といえるでしょう。

昨今、ウイスキーを語られる際に重視されているのはテクニカルな側面ばかりで、テイスティングコメントや蒸留技術に終始している気がします。しかし、そんなものは「そのウイスキーそのもの」を何一つ明らかにしてはくれません。それはあくまでも「観察日記」なのです。ウイスキーにとって大事なのは、「誰が」「どのような想いで」「どのような経験を踏まえて」そのウイスキーと向き合ったか、を考えることです。人の手がなければウイスキーは生まれない、という大原則に立ち返らなければなりません。

 ジム・マッキュワン セミナー 

さて、ブルイックラディではコンピューターを一切使用しないと申し上げましたが、そのためにスタッフが50人近くもいるアイラ島で一番大きな蒸留所となってしまいました。しかし、それでいいのです。アイラ島の人口は3,500人程度ですが、そのうちの50人には確実に仕事があるということですから。アイラ島の人口は一時15,000人を数えておりましたが、近年ますます減少しています。アイラ島を愛する私としては、これ以上人口が減っていくのを黙って見ていることはできません。何度も申し上げますが、アイラ島の蒸留所はアイラ島民のためにあるべきであり、それでこそアイラウイスキーの生産に値すると思うのです。

アイラ島はいまや、ウイスキーの聖地として大生産地の一つに数えられるようになりました。それに伴い、多くの情報や商品がアイラ島から発信されています。世界の国々は、それを受け取ってアイラ島を賛美したり批判したりしていますが、それは本当にアイラ島のためになっているのでしょうか?私は違うと思います。私は常々、神様はアイラ島から何を発信したかではなく、アイラ島に何をもたらしたか、何を貢献したかを見ているはずだと信じています。

新しいウイスキーを造る、希少な新商品を発表する、高価なウイスキーをボトリングする・・・これら一つ一つが、島民一人ひとりにどのような恩恵をもたらしているのでしょうか?島民が求めているのは、ウイスキーはもちろんですが、もっと生活に密着した、雇用の機会であり、貨幣の流通であるはずです。人件費削減やコンピューターの導入は、島民排除ではありませんか!ちなみに蒸留所では、スタッフがこの蒸留所で働く意義を見出せるよう、トイレの掃除婦やショップスタッフに至るまで、蒸留所の株を配当しています。ブルイックラディは働く一人ひとり全員が蒸留所の所有者であり、蒸留所を動かしているのです。

2007年11月下旬に開催した、ブルイックラディ『クラシック』発売記念セミナー。ご来場いただけなかったお客様に少しでもセミナーの様子が伝わり、また、マスターディスティラーのジム・マッキュワン氏の情熱を少しでも感じていただければ幸いです。

【第二部 生産工程】


では、ブルイックラディ蒸留所でどのようなウイスキーが生産されているか順を追ってご説明いたしましょう。

ジム・マッキュワン氏と大麦

まず、ウイスキーに必要なのは大麦です。ブルイックラディ蒸留所では、100%スコットランド産の大麦を使用しています。フランス産にもドイツ産にもイングランド産にもまったく魅力を感じません。確かに、コスト面を考えますと大量に輸入をしたほうが安く済みます。しかし、スコットランド人の魂ともいえるウイスキーを造るのに、国外の大麦を使用し、さらに貨幣まで流出させて、海外の市場を潤す理由がどこにありましょう。

ピート堀り作業風景

現在ではさらにアイラ島にこだわり、アイラ島内での大麦栽培も試みています。まだまだ全てのウイスキーを賄うまでには至りませんが、将来的には全てのウイスキーをアイラ島産の大麦100%で造れるように努力しているところです。
もちろん麦芽を乾燥させるためにはピートが必要です。アイラ島を含めスコットランドには、燃料というものがピーと以外には何もありません。8000年もの長期間にわたって堆積したピートを掘り、太陽の光で乾燥させて燃やすのです。

蒸留所内攪拌器

写真はかつての作業風景であり、現在では大きなトラクターで機械的に掘っています。しかし、アイラ島の土壌を大切にするため、私はこの手作業の方法も復活させたいと思っています。
収穫した大麦は7日間かけて発芽させます。充分に糖度が高まったところでピートを炊き、炎で乾燥させて成長を止めます。このときに独特のピート香が麦芽につくのです。その後発酵させ蒸留します。
非常に古い機械であるのがご覧いただけるでしょう。1881年当時に使用していた攪拌器を今でも使用しています。

ブルイックラディ蒸留所ポットスチル

そしてこの写真が蒸留所にある一番綺麗でセクシーな女性たちです。ご覧ください。長い首にしなやかなライン、そしてくびれたウエストなど・・・
私はこのスチルを愛してやみません。妻が焼きもちを焼くほど私はこの二人に恋に落ちているのです!
もちろん彼女たちも創業当時のものなので、最新の蒸留器に比べると蒸留のスピードが格段に遅いです。しかし、ゆっくりと蒸留することによって、原酒に深みやフルーティさが残ると考えています。

ダンカン・マックギリブレイ氏

写真に写っているのは、蒸留所が誇るスーパーコンピューター、ダンカン・マックギリブレイです!彼の頭には約5000種の「香りと味のストック」を入れる倉庫があります。それらと彼の経験によって、ブルイックラディのウイスキーは造られているのです。ブルイックラディは未だに官能(臭覚、味覚、触覚など)を駆使してウイスキーを造る数少ない蒸留所といわれています。
しかし、私には逆に人間が味を見ずしてどのようにウイスキーが造れるのか不思議ですが・・・。とにかく、彼なくしてブルイックラディは成り立ちません。長生きしてもらいたいものです。

ブルイックラディ蒸留所熟成庫

その後、ウイスキーは何年も眠ることになるわけですが、上の写真がブルイックラディ熟成庫のひとつです。ここでも原始的なのがお分かりいただけるでしょう。樽と樽の間が空いていますが、これは空気の流れを重視しているからです。アイラ島の波しぶきが溶け込んだ風が熟成庫まで流れ込み、樽全体を包み込めるようにしています。この潮風がウイスキーの中のシトラス香やレモンフレーバーを高める働きをするので、ウイスキーとよく触れ合わせることが重要なのです。

私がウイスキー業界で初めて就いた仕事は樽職人だったことはお話しましたが、樽がいつ発明されたかご存知ですか?

実は紀元前300年には既に使用されていたという文献が残っているのです。そして今現在に至るまで、まったく同じ形で使われているのです本当にすばらしい文化、技術だと思います。

樽の火入れ

ブルイックラディ蒸留所では基本的にアメリカンオークを使用しますが、このように中を強く焦がすことによって、木材の中の糖分をカラメライズすると同時に膨張させ、ウイスキーの染み込む余地を広げるのです。そうすることでウイスキーがさらに多く樽と触れ合い、オーク樽ならではのバニラ香や甘みがつくのです。

ブルイックラディ蒸留所は、アイラ島で唯一、全ての樽をアイラ島内で熟成させる蒸留所です。私たちのウイスキーは、最初から最後までアイラ島の風を吸い込んでボトリングされるのです。一瞬たりともアイラ島外の風が入り込むことはありません。グラスゴーの空気なんて・・・ウイスキーが喘息になりますよ!

もちろんブルイックラディ蒸留所は、最後まで妥協しません。瓶詰めの際に加水する水にもこだわっています。もうお分かりですね?全てアイラ島の水を使っています。アイラ島で大切に育てたウイスキーにグラスゴーの水やエジンバラの水を混ぜるなんて・・・!!

もちろんチルフィルターは掛けず、ウイスキーの個性そのものを残していますし、カラーリングもしておりません。皆様のお手元に届くブルイックラディはまさに天然そのもの、純度100%のアイラ島産ものと自信を持っておすすめできます。

<終>

いかがでしたでしょうか?ジム・マッキュワン氏の情熱溢れるキャラクターまで伝わりましたでしょうか?セミナーの最後の方には「スコットランドが好きなら映画『ブレイブハート』の感動が理解できるはずだ!」という話にまで発展。ジャパンインポートシステム社の通訳担当の方に「時間がないのでそろそろまとめてください。」と言われたことに対して「いつもこうやってせかされるんだ!もう少し俺の自由に話させてくれ!いつも怒られてばかりなんだ。今日は最後なんだからいいだろう?」と食いついて「10分程度なら・・・。」と言わせて「やったね!」とばかりに満面の笑みを浮かべるようなおちゃめな所がある方で、「はっきり物を言うからスコットランドでも嫌われるんだよ!」と笑い飛ばしておられました。

ジッと目を見て話をして下さった時の目力たるや・・・。

充実した時間を過ごすことができました。

最後に「もう日本に来ることはない。」と断言しておられました。「ウイスキー造りで忙しいだ。」とのことでしたが、また日本でお目にかかれる日を期待いたしております。


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