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宮廷がシャンパーニュの繁栄を支えた!?

ポンパドール

スパークリングのシャンパーニュが生まれたのは、ランス大司教の宣言から900年もの歳月を要しました。ドン・ペリニヨンによってシャンパーニュの製法の基礎が確立されたものの、不安定な仕上がりで、一般的には長らくワインが泡立つことは忌むべきものとされていました。
ただし、退廃的なヴェルサイユを除けば、です。

1589年、ブルボン家のアンリ4世がフランス国王に即位しブルボン朝が成立。アンリ4世の子、ルイ13世の治世を経て、孫のルイ14世の時代にブルボン朝は全盛期を迎え、絶対王政が確立されます。

18世紀のフランス宮廷のシャンパーニュへの沈溺ぶりは伝説となっています。特に、1715年から1723年まで摂政を務めたオルレアン公フィリップ2世は、政治家としては有能であったとも言われていますが、プライベートでは、享楽的で、ほぼシャンパーニュに酔って過ごしていたといわれています。

パリの郊外にあった「パレ・ロワイヤル」で夜ごとサロンを開き享楽に興じていました。コルク栓を飛ばす「ソート・ブション」を愉しんだり、愛人をはべらしたり...。
彼の母親が1716年にしたためたという手紙には「息子がシャンパーニュのワインばかり飲んでいる」という小言が書かれていたそうです。

この時代のシャンパーニュは、現在よりも甘口で、ドサージュの量が多かったこともあり、瓶内で再発酵が進み、貯蔵庫内で破裂してしまうこともしばしば。ほとんどガスがなかったこともあったりと、まだまだ不安定な状態だったといいます。それにもかかわらず、王侯貴族たちはこぞってシャンパーニュの魅力に取りつかれていました。

さらなるシャンパーニュの発展に大いに貢献したのも国王でした。
1728年、ルイ15世によりそれまでの流通のネックだった瓶での輸送の禁止が解かれたことで隆盛に弾みがつきます。
さらに、1735年にはシャンパーニュの瓶の規格、容積についての規則を制定。同時にコルクが飛ばないよう麻紐で固定しなければならないと布告します。これは、「フィスラージュ」と呼ばれる技法です。現在、いつくかの生産者が復活させているので目にしたことがある方も多いかと思います。

現在まで続く名立たる老舗メゾンが登場したのもこの頃です。最古のシャンパンハウス「ルイナール」に続き、「テタンジェ」「モエ・エ・シャンドン」「ランソン」「ドゥラモット」「ヴーヴ・クリコ」「ルイ・ロデレール」「パイパー・エドシック」などが挙げられます。

ルイ15世の寵妃ポンパドール夫人は、こよやくシャンパーニュを愛したことでも知られています。彼女は「飲んでなお女性を美しく見せてくれるのはシャンパーニュだけ」という名言を残しています。毎年5月、モエ・エ・シャンドンに200本ものシャンパーニュをオーダーしていたという記録が残っているほどでした。

この当時、シャンパーニュを飲んでいたグラスは「クープグラス」です。シャンパンタワーで使われる口が広がった浅いグラスです。このグラスは、とある高貴な女性の胸をかたどったといわれています。それはポンパドール夫人からマリー・アントワネットまで諸説あるそうですが。

また、ゲップが出ないようかき混ぜて泡を飛ばしてから飲んでいたといわれています。どこまでも女性を美しく見せてくれる飲み物だったのでしょう。黄金色の泡立つワインが最も光り輝いた時代だったのかもしれません。








シャンパーニュの豆知識 シャンパーニュの歴史


シャンパーニュにまつわる基礎知識をご紹介しています。


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