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ナポレオンはシャンパーニュ好き!?

シャンパーニュの歴史 ナポレオン

フランス革命により王侯貴族という庇護者を失ったシャンパーニュの飲み手は、今度は革命家たちへと変遷します。さらに、ナポレオンの登場がその危機を救うことになります。

「戦に勝った時こそ飲む価値があり、負けた時には飲む必要がある」という言葉を残しているほどの愛好家でもありました。戦地に赴くたびに大量のボトルを必要としたので、シャンパンハウスは軍属として遠征先に赴き、兵士たちの喉を潤したといいます。

特に、モエ・エ・シャンドンの3代目ジャン・レミー・モエとは将校時代からの旧友であったことから、戦地へ赴く際にモエ家に立ち寄り、シャンパーニュで勝利を誓ったといいます。ナポレオンの勢力拡大と共にヨーロッパ中に「モエ・エ・シャンドン」の名を広めることに成功しました。

また、ナポレオンは「ジャクソン」も愛飲しました。自身の結婚式で振る舞ったという逸話もあります。その最高の栄誉を賞し「メダイユ・ドール(金メダル)」を授けました。今日もメゾンの紋章としてナポレオンのシンボルである鷹や王冠とともに掲げられています。

1815年「ワーテルローの戦い」での大敗の際、軍事拠点となっていたシャンパーニュ地方は、ロシア軍を代表とする連合軍に占拠されてしまいます。ナポレオンが皇帝の座を降りた後は、戦後補償の一環でシャンパーニュは搾取の対象となり、モエは60万本ものシャンパーニュを奪われてしまいます。

しかし、彼はこれを好機と捉えます。
「彼らはシャンパーニュの虜となり、国に帰り最高のセールスマンになってくれるだろう。」と語ったといいます。
また、ウィーン会議の際の晩餐会で繰り広げられたフランスによる美食外交により、シャンパーニュは一気にヨーロッパ中に広まります。

モエの確信は読み通りとなり、ロシア皇帝アレクサンドル1世をはじめ、英ウェリントン公、プロイセン王ヴィルヘルム3世、オランダ国王2世、神聖ローマ帝国フランツ2世などがすぐに顧客として名を連ねることになりました。

ヴーヴ・クリコのマダムクリコは、ロシア将校にありったけのシャンパーニュを差し出し、飲ませました。そうしてロシア軍が撤退した時、船に積めるだけシャンパーニュを積み込んで先回りし、新規開拓に成功します。ロシアでは「クリコスコエ」と呼ばれ人気を博しました。

こうしてシャンパーニュは、1800年には30万本だった年間生産量が1850年には2000万本にまで膨れ上がります。そうして新たなシャンパンハウスが続々と設立されていったのです。


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